公演日誌

2024-04-16 19:55:00

あしたから

どうも。

 

富士雨言っていいます。「フジサメゴン」って読みます。この名で活動するのも今公演限りなので忘れていただいても問題ありません。今回は舞台監督兼演出補助として参加させていただいてます。

 

 

 

まずは新歓公演らしく劇団月光斜の魅力について語らせてください。

 

弊団体は「生きてるエンターテイメント」を掲げているのですが、芸術や表現の世界において「生きてる」とはどういった状態を指すのか。

 

これは一団員個人の見解になりますが、端的に言えば「変化を恐れない」「出し惜しみしない」「常に進化し続ける」「生の熱量をお届けする」といったことが挙げられると思っています。

 

これが実は難しくて、あらゆるものが大量生産・大量消費される現代では、様々な業界で惰性や模倣を継いで接いだものが蔓延っています。一方で、ただ奇を衒うだけでは真に誰かの心に届くものは創造できません。

 

この団体で我々は、時に先入観を疑いながら、時に相反する意見をぶつけ合いながら、いつも貪欲に模索し続けています。どうすれば見る人に伝わるものができるのか。

 

ここまで読んだ時点で、入団をお悩みの方へ。お時間があれば、是非ともHPから「23年度新歓公演『フランダースの負け犬』公演日誌 演出・富士壺出」を探して、こちらも読んでみてください。一つの公演を先頭で全力で走り抜けた直後の感情をそのまま書き連ねています。とても簡潔で読み易い文になっていると思います。

 

期せずして、更にその1年前の22年度の新歓公演の演出と一部似た内容になってしまっていましたが。今年の演出もそうなるのでしょうか。

 

 

 

さて、日誌らしいことも書いていきますかね。最近したとある発見について書きたいと思ったのですが、演劇に触れたことが無い人には少し分かりにくい内容かもしれません。まあ、「へーよく分からんけど演劇って奥が深いんだなー」などと思っていただければ。

 

今回私は、昨年の新歓公演以来の、劇団月光斜での活動で二度目となる演出部での参加となっています。演出部として活動する中で、特に難しいと感じることの一つは、役者との根本的な認識の齟齬、それにより指示を意図の通り汲み取ってもらえないことがあります。

 

まあ淡白な言い方をしてしまうと、演劇人としての実力不足・経験不足・知識不足で片付くことなのですが。

 

その原因となる認識の齟齬とは。役者は与えられた役について「演じ方」を考えることが最大の仕事であり、演出はその演技に「お客さんからの見え方」という視点から指示を出す必要があります。演出から「演じ方」についての指示を出すのは最低限に、基本的には役者本人を尊重するのが理想だと思っています。

 

ただし、「見え方」についての意見であると役者に伝わらないければ、自身の見出した「演じ方」を曲げられることを嫌うため、貫こうとしてしまいます。

 

演劇とは総合芸術であり、一人ひとりの演技、一つひとつの舞台効果が良ければ良い、と言うものではなく、全体の「見え方」が何より重視されねばなりません。

 

「お客さんにどう見せたいか」を基準にそれぞれ「演じ方」を考え、「見え方」について意見し取り入れなければ成立はしません。

 

演劇に関わる上で、全員で一つの作品を作り上げお客さんに届ける、という意識を忘れず持てるようここに書き残しておきます。

 

 

 

「新歓らしいこと」と「日誌らしいこと」どちらを書こうか悩み、両方書こうとしてしまい随分と長くなりました。お付き合い頂いた皆様、ありがとうございます。

 

最後にはなりますが、この日誌が公開されるその翌日、4月18日から、いよいよ公演の本番となります。是非ともお越しいただきたく思います。

 

これから3日間、皆様にご覧いただくのは、18人の学生がおよそ2ヶ月もの間、ひたすらに『ポストグラフ』という一つの作品と向き合い、考えに考えて出した答えです。

 

この劇を通して、皆様の心に暫く忘れられない何かを残すできたなら、それに勝る喜びはなかなかありません。

 

立命館大学衣笠キャンパス、学生会館は小ホールにて、団員一同お待ちしております。是非ともお越しください。

 

それでは。

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演劇沼に引き摺り込もうとする私の図

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