公演日誌
月光矢の如し
どうもこんにちは。
稽古以外は大体睡眠、今公演では高山右近を務めます、華那多です。# かなたとよみます
どうぞ、よろしくお願いします。
卒業公演ですね。
今公演をもって日誌を書くのも4回目になりますが、いつも以上に何を書いたらいいのだろうか、と考えあぐねています。
過去の自分は何を書いていたかな、と読み返してみたのですが、去年の冬に、「大切なものはいつも失ってから気づく」的なことを書いてました。かっこつけてますね。
でも本当にその通りで、私はいつも実感が遅れてやってくるタイプです。特に月光斜での活動は、忙殺されて気付けば終わっていた、なんてことがよくあります。
なので今回は、今公演こそは、後悔のないように一日いちにちを大切に噛み締めよう。そんなことを公演のはじめに決意しました。
結果。
気づいたら今日。
公演期間は残り2週間を切り、通し稽古が連日行われ、役者は最後の追い込みに入り、宣美も最後の繁忙期に入り、映像も──。
はい。お察しのとおりです。公演を全力で駆け抜けながら噛み締めるなんて器用な芸当は、私にはできませんでした。なんとも不甲斐ない。
でも、前回の日誌のときと異なるのは、
『卒団する実感がある』
ということです。
会議や稽古前のトレーニング、発声、役者同士のすり合わせ、なんならみんなでご飯を食べて他愛ない雑談をしている時にさえ、ふと
「あぁ、この時間はあと少しで終わってしまうんだな」よぎることがあります。
その度にとてつもなく寂しくなり、涙が出そうになります。でも、それはとても幸せなことだと、そう思います。
これまでの人生で、ここまで想いをかけたことがあったでしょうか?これから先、ここまで想いをかけられるものに出逢えるでしょうか?
そんなことを考えてしまうくらい、月光斜は私の全てです。全て、でした。
先輩。
あなた達に憧れて、追いかけて始まった月光斜人生。よく躓く私に、何度も手を差し伸べてくれてありがとうございました。
後輩。
頼りない先輩でごめんね。隣で一緒に笑ってくれて、背中を押してくれて、ありがとう。
同期。
ここまで一緒に走ってくれて、ありがとう。
歩幅はバラバラだったかもしれないけど、ここぞという時に揃う足並みが、頼もしかった。
あなた達の同期でいられたことを心から誇りに思います。
お客様。
数ある劇団の中から『劇団月光斜』を見つけてくださり、ありがとうございます。私が去った後も、月光斜は続いていきます。願わくば、これからの月光斜もどうぞよろしくお願いします。
そして10月25日、26日、27日。
120分という短い時間ですが、皆さまと同じ時間を過ごせたらと思っています。
小ホールで、お待ちしています。
4年。
これからも続く長い人生の中で、たったの4年。されど、4年。大切な大切な時間でした。
居場所をくれてありがとう。
"華那多"でいさせてくれてありがとう。
さようなら。
華那多
最後の公演日誌のタイトルってみんな何にしてますか?
こんにちは、もしくは初めまして。制作4回生のヘオンと申します。
ううん、正直以前書いてた引退公演の日誌を振り向いて見ていましたが、なんか「卒公に戻ってこれないかも~」とか言いながら長い文書で色々書いていたのでもう何を話せばいいのかわからなくなりました。あとのことじゃんと考えようね。
にもかかわらず話を進めると、いや、いよいよ卒団が目の前まで来てしまいましたね。完全な終わり、FINAL、끝、などなど。
少し個人の話にはなりますが、私は中学の時代から芝居に触れ、高校、大学に至るまでストレートに芝居を続いている身です。2014年の夏から2024年の秋まで、2年間のブランクはあったものの約8年。どこかで役者と名乗るには恥ずかしい実力・期間には間違いないでしょうが、にしても私が注いできた時間は決して短い期間ではありませんね。しかも外国まで来て芝居やってるとは、人生かけて好きだったよ!と言えるのではないでしょうか。なので今公演は私と劇団の別れ話でもありますが、その以前にこの8年、もっと言えば芝居との終止符でもあります。残念ながら今後役者としての道は歩めないことになったのでですね。
物心つく頃からはずっと芝居をしていたため、芝居がない人生のことをあまり考えたことがありません。想像しづらいですね。多分、新しい夢が見つかるまではきっと退屈な人生になると思います。自分の身と時間と心を捧げてまで愛してたものとのさよなら。悲しいとか心配とか何も当てはまらないなんとも言えない感情でありますが、一つ言えるのは終わりは迫っているということですね。なんと残酷だ。
だからこそもっと後悔のないものにしたい!というのが今公演と向き合う私の気持ちです。新しく一歩踏み出さなきゃいけない私にとって今公演を最高の記憶、そして前に進める原動力としたいです。そして見てくれる誰かにとってもそんな舞台にしたい、と勝手に思っております。
先から自分の話ばかりで、劇団のことは何も言ってませんね笑。正直劇団に対することは前回の日誌で全部書いちゃったところもあるのであまり書くことがないですね。そんなに心配してた後輩たちは立派に成長して、今は学ぶところしかないし、新入生だって個性豊かですごい子ばかりで活動する毎日が楽しいです。
そんな中で気になるのはやはり団体にとっての「自分」ですね。話を聞けるいい後輩であったが、一緒に頑張れるいい仲間であったか、頼りになるいい先輩であったかなどなど、考えてみればそんな人にはなれずご迷惑だけかけていました。
まだ未熟で限りなく弱い人間の私の可能性を信じ、意味を与えてくれた人々と団体にただ感謝するだけです。私の人生の一ページはこの団体で埋められていて、ここでの記憶を忘れることは決してないです。素晴らしい人たちと出会い、勝手に素敵な夢を見ました。本当に本当にありがとうございました。
月光斜の、役者のヘオンの人生はここで終わりです。もしかしたら他のところでまた出会えるんですかね。わからないし、そうなったら嬉しいだろうけど、一旦この物語はここで終わせます。私と関わってくださった皆様に感謝いたします。私たちの出会いが素敵なものであったと言えるように、最後まで走り抜けます。一緒に最高のお別れ向かましょう。それでは 안녕히!
これまで出会った中で最高の仲間たち。時間と世代を経て、が画像に取れていない人もたくさんいますが、どんな人も忘れないようにしたいです。’모두 사랑해!’
まさか、まさかこんな所で
始めまして、そしてさようなら
公演日誌を書くのはこれで4回目になります。
入団のきっかけは高校の友達が演劇部に入っていて、勧められたのが始まりでした。なので周りの様に演劇に対して特別高いモチベーションがあった訳ではありませんが、結果的に大学生活の大半を費やしました。
あまり団体で一つの目標に向かうという経験が無くて正直今でも慣れない事はあります。それでも、やっぱり楽しかったな。これから先の人生で同じように大人数で何かを作る事が有るかは分からないので、1ヶ月も無い残りの時間を精一杯に生きようと思います。
最後に僕自身、役者の経験が多い訳では無いので『如月雪ノ』の名前を認知している人は多くないかもしれません。ですが、自分が携わった物が誰かの心に残り続けている事が、僕がこの団体に居た意味だったと思います。
金蘭
お久しぶりの方はお待たせ致しました。初めましての方はどうぞご贔屓に。
音響効果班4回生、殺陣音響オペレーションを担当させて頂きます堀丸奏です。
ちょっと前の公演ではXll単と名乗りまして演者側で出てたりしてた人でもあります。
よしなに。
数えてみれば2022年度を最後に月光斜を離れて早二年。当代の卒業公演に名を連ねさせて頂けるとは思いもよらずと言うか、公演準備も締り際のこの日になっても未だ夢心地でございます。
ついでに培ったハズの公演知識も夢の様にボヤけてしまってなんだか新規入団したみたいです。いかんでしょ。
2年。私が生まれ過ごした年月の11分の1。こう書けば少ない様にも見えなくは無い、しかし重い時間です。
学生団体という母体においてそれは更に重くなるのだなあとひしひしと感じる今日この頃。
例示するなら公演映像を通して見ていた後輩達が生で目の前にいる衝撃でしょうか。
人となりや自然な動きを見る毎に、実在するものなのかと都度感じます。
同期の知らぬ間の成長や何なら当時の私など比ぶるまでも無い後進の完成度、スケジュールの進行や考え方の進化。語るべきは多いです。
が。我々は演劇を媒体とする団体でございます。
今言った全てを演劇で伝えるのは傲慢でしょうが、その努力も成果も全ては公演の為。
月を見上げた者たちの果て、是非観て頂ければと思います。
私としては…ただひたすら、置いて行かれない様に。この2年という空白が願わくば良き音となりますように、尽力していきたいですね。
うーん、重い。皆どんな事書いてるんですかね。
最後についでにやってる京都観光の写真でも。
平野神社。見飽きてるかもしれませんが、何方かと言えば良き空が合います。
息抜きもちょくちょくしつつ、楽しみます。
良き日を。
堀丸奏
ガ〜タガタ言ってる時間はねェ!
お久しぶりです。4回生、舞台班の湖畔夕日でございます。冬公演以来ですね。今公演はスタッフとして参加しております。前回書いた時は「戻れたら…」とかなんとか言ってましたが、私久々に吐血しながら戻ってまいりました!!(ほぼ倒れる寸前でしたがね… 🥲 🥲)
さて、いつも最初の方は公演日誌を自由表現の場と思ってふざけ倒している私でございますが、最後なので今回ばかりは真面目に話しましょうか。
いつかの公演日誌でも書いたように私は剣道をずっとやっておりまして、大学でも剣道をやろうとぼんやりと考えておりました。ですが、ひょんなことがきっかけで演劇をやってみたいと思うようになり、1回生はいろいろあったため、2回生から入団しました。元々は役者をやるつもりもなかったし、少しだけでも演劇に関わってみようかなという、いわゆるただの小さな興味からくるものでした。
ですが、終わってみれば2回生からなんと合計8公演も参加していて、中止になった公演を含めると、5回のスタッフ経験(2022夏・2023新歓・2023夏・2023冬・今回)と3回の役者経験(2022卒・2022冬(中止)・2023卒)を積ませていただき、ありがたいことに役者とスタッフを約半分ずつ経験させていただきました。そのおかげでどちらの楽しさ・苦しさも程よく理解することができたような気がします。
実際の私は大工の三太のようなあんなに真面目にボケる人であったり、アンサンブルのような人であったりはしませんし、拳助のような快活で好戦的な妖怪でもありません。ですが、舞台に立ったその瞬間だけは、自分とは違うその人物や種族に身も心もなることができました。スタッフとして参加した時も、作業場に行けば皆が作業していて、ひたすら繰り出されるボケに対して私が突っ込んだり、はたまたどう対処していいかわからなかったり、そして時折懐メロを皆で熱唱しながら作業して、ここでも自分らしさだけではなく、自分にはない何かをも発揮することができました。役者の時もスタッフの時も苦しかったことは数えられないほどありましたが、とても楽しかった…☺️
私は月光斜のおかげで人としても成長できたなと感じています。全くの演劇未経験で、しかも遅れて入った私が、メインの役者を2度も務めさせていただいたり、舞台班の一員として最後の公演まで全うすることができたのは、ひとえに51期や52期の先輩方、同回生や同期・後輩の様々な物事に対する考え方やアイデアに触れ、技術的にも精神的にも大きな影響を受けたからでございます。本当にありがとうございます。私を支えてくださった皆様には感謝してもしきれません。🙇♂️
この団体はこれからも続いていくでしょう。ですが、私たち53期はここで卒団いたします。志半ばではありますが、いつかまた会えることを信じて。
最後に、タイトルのセリフを発した写真の人物で、私が初役者を務めた、「大江戸ロケット」大工の三太くんのセリフに掛けて、後輩たちや来てくださるお客様に対してメッセージをお送りいたします。
ソラ「で、三太(と湖畔夕日)はこれから何するの?」
三太・私「チッチッチ… 👋 俺はここ(心の中)でみんなを見守るっっ!!!」
夢のような時間でした。それでは。さようなら、またいつか。
舞台班4回生(元 大工の三太・アンサンブル1・拳助役): 湖畔夕日