公演日誌
一陽来復
皆様こんにちは!
制作部3回生、花海そのです!
公演日誌を通して皆様とお会いするのは2度目ましてですね🙌🏻
もし今回がはじめましての方がいらっしゃいましたら、この度はお目にかかれて光栄です✨
以後お見知りおきを!!
めっきり肌寒い季節になりましたが、お変わりありませんか?
つい最近まで、日陰を探し求めて彷徨うウォーキングデッドのようになりながら暑い暑いと言っていたはずが、もう羽織なしでは外に出られない季節に…
万年冷え症にはなかなか堪える時期です。⛄️❄️
とはいえ冬は大好きなのですが!!🙂
お写真はちょうど1年前、とあるお方に会うために訪れた大阪は大阪城公園で咲いていた向日葵です🌻
思えば、私が大学で演劇を始めたきっかけには、その方の存在がとても大きかったように思います。
もしも出会っていなければ、今私がこうして劇団月光斜の一員として、花海そのとして、公演日誌を書かせていただくこともなかったかもしれません。
人生、本当に何があるかわからないものです。
そんな私ですが、今年に入って様々な経験を重ねる中で、とある目標ができました‼️🥹
今は、夢の夢の、またその夢くらいの場所にある目標(なので内緒にしておきます😊)ですが、いつの日か必ず、実現させてみせます。見ていてください。
さて!
今回、私たち劇団月光斜がお届けする2025年度冬公演『ラ・ベル』🥀🏷️
まさに今この季節にぴったりの、本当に美しいお話です🫶🏻
参加者21名全員で心を込めて準備を進めておりますので、万障お繰り合わせの上、ぜひ足をお運びいただけますと幸いです。
そして、今公演をもちまして我々55期生は引退いたします。
卒業公演に引き続き、この度も受付スタッフとして、皆様を華麗にお出迎え、優雅にお見送りさせていただけることを心より楽しみにしております🤵🏼♀️
どうかお気をつけてお越しください。
会場にてお待ちしております!!!
#ご予約もまだまだ受け付けております!💫
#どうか暖かくしてお過ごしください🐈🧶🧣
全ての出会いに感謝
はじめまして。3回生つまり55期の舞鈴音紅葉と申します。今回初めて月光斜の公演に関わらせていただくのですが、実は引退公演というちょっと不思議な存在です。せっかく公演日誌という機会をいただいたことなので、団員紹介に添えている言葉「演劇に、月光斜に、仲間に出会ったのもなにかの縁。全ての出会いに感謝。」について語ろうと思います。これを紐解く重要なことわざのひとつが「袖振り合うも他生の縁」という言葉です。私が月光斜を見た最初の公演『袖に余る想い』と字面が似ているのは奇遇かもしれませんが、偶然の出会いも前世からの因縁によるものであるという仏教的な考え方です。私はこの意味の解釈の方法では「因縁」という単語が使われている手前、なにか腐れ縁みたいな感覚に捉えられてしまう方もおられると思います。私はそうは思いません。この地球上には82億人もの人が存在し、日本だけでも1億人以上が暮らしています。その中でも人生で出会える人の数は一体何人でしょう。たとえ出会えていたとしてもすれ違っただけであったりなど一言も会話していない人が大半ではなかろうか。人間が他の人間の顔を覚えるのは5000人程度という説があります。そんな天文学的な確率の縁を大切にし、感謝をしたいというのが第一にあります。加えて人と出会うということは私の人生にとってなにか良い影響を与えてくれる運命だと思うということです。私の人生で演劇に出会ったということ自体が実は奇跡で、奇跡的に演劇に出会ったからこそ、月光斜に出会い、座組の皆に会うことができました。この次の奇跡は本番当日、お客様と出会うことです。全ての出会いに感謝を込め、全身全霊で取り組ませていただきます。是非会場でお会いいたしましょう。
✨🌹✨
前回公演の日誌を書いたのはいつだったでしょうか。遠い記憶のように思えてしまいます。ここで少しだけ、自分のことを語らせていただきます。お付き合いいただけると嬉しいです。
もうすぐ引退か… 長かったような、短かったような不思議な気持ちです。無理やり受け入れるように自分に言い聞かせる日々が続いています。まだやり残したことがたくさんあるのに…引退後は、どんな生活になるんでしょう… きっと大学院の出願準備や卒業論文で忙しくなるでしょう。「現実がやってきた」と心の底から感じています。でも大丈夫です。生き延びます。
さて、月光斜について、不思議だと感じていることがあって述べさせていただきます。私は普段、明るく(?)振る舞っているつもりなのですが、実はいらない心配をいっぱいしたり、すぐ悲観的な思考に陥りやすく、時に自分の考えにびっくりするほど悲しくなったりします。
でも不思議なことに、活動に行く前までは頭の中がごちゃごちゃしていても、活動が始まって作業に没頭すると煩わしいことが全部忘れられて、心が一時的に楽になります。なんででしょう? ある意味、月光斜で活動する時間は、私の精神安定剤だったと言えるでしょう。
さて、今回の公演は、なんだかいつもと違う雰囲気を感じています。「こだわりが強い」「注文が多い」という印象です。演出側からの世界観資料や事前質問など、要求されることが他の公演の倍くらいあります。これは悪口では绝对なく、私は愛の表れだと感じています。今回はデザイン案を練る時、演出の具体的な注文を参考にすると、いつもより速くイメージが固まったのが印象的です。ものづくりやデザインの現場では、注文が具体的で多ければ多いほど、イメージが鲜明になって考えを練りやすくなり、とても助かっています。要するに、今回の公演は一味違う魅力があります。ぜひ楽しみにしていてください!
おまけに、私のお気に入りのぬいぐるみと今公演の一つのモチーフとなるバラが一緒に写っている写真をお見せします。
2025卒 〜Fin〜
どうも。
劇団月光斜54期、卒業公演では演出と舞台監督を務めさせていただいておりました、富士見谷と申します。
これで「フジミヤ」と読みます。既に卒団した身なので、覚えていただかなくて大丈夫です。
さて、公演後記ということで、冗長でつまらない話にはなりますが、お付き合いいただければと。
…………
私が演劇人生は、高校一年の春、演劇部への入部にてはじまりました。
私の高校では年に2回、7月と3月に大きな舞台がありました。
入部した当初は7人体制だった部も、7月の地区大会を終えた頃には先輩が引退し、私含め一年生三人のみとなりました。
それでも様々な機会に恵まれ、多様な団体や活動者に触れ、小さい公演を打ち、多くの学びと刺激を得る日々を送っていました。
演出の仕方をとある方より教わり、演出の世界の深淵に惹かれ、取り憑かれていました。
来る3月の合同発表会に向けて、私は脚本の執筆に臨んでいました。
様々な人の言葉を参考に、これまでのすべての経験を余す事なく活かし、憧れも野心もあらゆる感情を綯い交ぜに。
湯水の如く湧き出る「こうしたい」「ああしたい」を詰め込み、無尽蔵のアイデアを絞り出し。
それは今振り返れば、とても人に見せられたものではありませんが、その時の私にとって輝いて見えたものを詰め込んだ、宝箱のようにも思えます。
無理筋なのは百も承知。
演劇をはじめて一年にも満たない3人の高校生による大舞台。
それが新型コロナウイルスの流行により中止になりました。
最初は何も理解できませんでした。
2020年、1月。少しずつ報道で、その聞き慣れない文字列を目にするようになりはじめました。2年生の修学旅行は恙無く終えられました。
2月。だんだんと無視できないほどに世間で囁かれるようになりました。
そして下旬。合同発表会の中止が顧問から告げられました。
それからの数ヶ月。その公演に掛けていた熱を発散する宛はどこにも無く、ただ部屋に篭っていることしかできませんでした。
少しずつ、活動が再開できるようになってきても、いつまた休止になるかわからない恐怖が、常に付き纏っていました。
また同じような事態に陥った時に、私はどうなるだろうか。
元々は演劇は高校の3年間で終えるつもりでしたが、感染症が落ち着いた頃に、その憂いに苦しまずに済むようになってから、また再開しよう。
そうして演劇と距離を置くことにしました。
そして立命館大学への入学と同時に、劇団月光斜への入団へと至りました。
感染の流行もある程度落ち着いており、今度こそ思い切り演劇ができるだろう、と。
そんな中で2022年度、冬公演。学生会館で火事が発生し、公演は中止を決定。
2023年度、新歓公演。詳しい話は省きますが、新歓企画の規定違反で中止。先輩方から慣習としてずっと大丈夫だったと聞いていて、中止を告げられた時は晴天の霹靂に感じました。
…………
演劇の最大公約数を考えるとそれは、「舞台」と呼ばれる空間に、「役者」と呼ばれるものがいて、「演技」と呼ばれる行為をすることかと思います。
きっと最初期の「演劇」は、演出家も舞台監督も照明家もおらず、何も無いただの土地の一画を「舞台」と呼び「演技」していたのでしょう。
ただ、現代において「演劇」という呼ばれるものはそこから更に膨れ上がっており、幾らかの条件をクリアしなければいけなくなりました。
『パンドラの鐘』では戦争、特に太平洋戦争を示唆する内容が含まれていました。そして、論文の検閲等の言論や思想の統制が、特別高等警察にあたる者によって行われる描写がありました。
勿論それらは、演劇活動にとって妨げとなります。平和と自由があってはじめて演劇はつくられます。
こうして今、学生が集い、公演を打てているのもひとえに、今の日本は一定の平和と自由が保障されているおかげでしょう。
同じ演劇をしたい仲間が集まれていること。
多くのお客さんの前で公演を打てていること。
それが只事でない幸運であるかと思います。
卒団を意識するようになった頃から、卒団した今でも強く思います。
この三年半、本当に、身に余るほどに、貴重な経験をさせていただき、特別な時間を過ごさせていただきました。
月光斜の先輩や同期、後輩、そして活動の中で関わってきた全ての方々に、感謝の念が尽きません。
我々54期は卒団となりましたが、いつまでも、この劇団の公演の続くことを祈っております。
そして劇団月光斜と、これまで劇団に関わった皆様、観に来てくださった皆様との縁の途切れぬことを。
こんなところで、この公演後記の締めとしたいと思います。
最後になりますが、劇団月光斜2025年度卒業公演『パンドラの鐘』に御来場くださった皆様、遠くから応援してくださっていた皆様、誠にありがとうございました。
そして願わくば、これからも劇団月光斜をご愛顧いただけますよう、何卒よろしくお願い致します。
それでは。
節目
おはようございます。昨年の冬以来の、公演日誌執筆となります。時がたつのは早いもので、つい最近入団して『グレートマイファミリー!』に参加したと思っていたら、あっという間に「卒団」という文字がすぐ目の前まで来てしまいました。しかし、引退からこの卒業公演までは短いようで少し長いものでした。どうやら、私の中で月光斜という存在は思っている数十倍数百倍大きかったようです。
今公演では、ありがたいことに主演のミズヲ役をいただいております。振り返るとたくさんの役をいただき、たくさん舞台に立たせていただきましたが、この役への思い入れは、一段と強いものがあります。
今公演は長崎が舞台となっており、チラシにも記載がある通り、原子爆弾を連想させる内容が含まれております。
私の地元は福岡です。修学旅行や家族旅行など、様々な場面で長崎に行く機会がありました。当然、そこで原子爆弾というものにも触れてきました。また、祖父が毎年、地元で「平和のための戦争展」というものを開いているのですが、そこでも原子爆弾について触れることがしばしばありました。そのこともあってか、幼少期から原子爆弾というものへの漠然としたトラウマを抱えていました。いえ、正直今でも抱えています。しかし、この恐怖心は、決して悪いものではないと思うのです。今回ミズヲという役と向き合っていくうえで、私自身、再び原子爆弾と向き合うことになりました。少しでも、理解しようとしました。それが出来たのかどうかは分かりませんし、経験していない以上、決して「理解した」とは言えないと思います。ですが、戦争を経験していない世代である我々が、こうして少しでも理解しようとすることは、絶対に無駄なことではないし、絶対に必要なことだと感じています。
今年は戦後80年という節目の年となります。戦争を経験された方々もどんどん少なくなっています。でも、経験者がいなくなってしまったときに誰も語り継いでいく人間がいなくなってしまったら、その恐怖が薄れていってしまったら、人は必ず、歴史を繰り返してしまいます。だからこそ我々が、次の時代を担っていく我々が、戦争や原爆というものについて理解しようとすること、そして発信しようとすることは、非常に重要なことだと思うのです。
現在、日本の、そして世界の情勢が穏やかではない状態となっています。私には、それをどうこうする力はないかもしれません。また、この場で政治的なことを言うつもりも毛頭ございません。ですが、この作品を通して、何かを発信することはできると思っています。ぜひ劇場で、受け取っていただければと思います。
先ほど戦後80年の節目と申しましたが、今公演は私たち54期にとっても、「卒団」という節目にもなります。冒頭でも少し申しましたが、私の中で月光斜という存在が、自分で思っていた以上に大きな存在となっていたようです。何事にも「最後」が付く様になってまいりました。この公演日誌を書いている今日も、「最後」の稽古です。
私はこれまで、自分自身の卒団で泣くことは絶対にないと思っていました。先輩が卒団されるときは先輩との「別れ」が寂しかったですが、卒団するのが自分自身なら、その「別れ」はない。そう思っていたんです。でも、違うんですね。私は今公演で月光斜との「別れ」の時を迎えるんですね。今では、自分自身の卒団で泣くことは絶対にない、と言える自信はありません。私は、舞台上では芝居以外で泣かないと決めているのですが、もしカーテンコールの時泣いていても、許してください。
最後に、月光斜に入団してから私を引っ張ってくださった先輩方、こんな私を慕ってくれた後輩たち、月光斜で活動することを応援し、支えてくれた両親、全てのお客様、そして何より、たくさんの苦楽を共にした最高の同期達、本当にありがとうございました!!!皆さんのおかげで、最っ高の月光斜人生、そして大学人生でした!!


