公演日誌
節目
おはようございます。昨年の冬以来の、公演日誌執筆となります。時がたつのは早いもので、つい最近入団して『グレートマイファミリー!』に参加したと思っていたら、あっという間に「卒団」という文字がすぐ目の前まで来てしまいました。しかし、引退からこの卒業公演までは短いようで少し長いものでした。どうやら、私の中で月光斜という存在は思っている数十倍数百倍大きかったようです。
今公演では、ありがたいことに主演のミズヲ役をいただいております。振り返るとたくさんの役をいただき、たくさん舞台に立たせていただきましたが、この役への思い入れは、一段と強いものがあります。
今公演は長崎が舞台となっており、チラシにも記載がある通り、原子爆弾を連想させる内容が含まれております。
私の地元は福岡です。修学旅行や家族旅行など、様々な場面で長崎に行く機会がありました。当然、そこで原子爆弾というものにも触れてきました。また、祖父が毎年、地元で「平和のための戦争展」というものを開いているのですが、そこでも原子爆弾について触れることがしばしばありました。そのこともあってか、幼少期から原子爆弾というものへの漠然としたトラウマを抱えていました。いえ、正直今でも抱えています。しかし、この恐怖心は、決して悪いものではないと思うのです。今回ミズヲという役と向き合っていくうえで、私自身、再び原子爆弾と向き合うことになりました。少しでも、理解しようとしました。それが出来たのかどうかは分かりませんし、経験していない以上、決して「理解した」とは言えないと思います。ですが、戦争を経験していない世代である我々が、こうして少しでも理解しようとすることは、絶対に無駄なことではないし、絶対に必要なことだと感じています。
今年は戦後80年という節目の年となります。戦争を経験された方々もどんどん少なくなっています。でも、経験者がいなくなってしまったときに誰も語り継いでいく人間がいなくなってしまったら、その恐怖が薄れていってしまったら、人は必ず、歴史を繰り返してしまいます。だからこそ我々が、次の時代を担っていく我々が、戦争や原爆というものについて理解しようとすること、そして発信しようとすることは、非常に重要なことだと思うのです。
現在、日本の、そして世界の情勢が穏やかではない状態となっています。私には、それをどうこうする力はないかもしれません。また、この場で政治的なことを言うつもりも毛頭ございません。ですが、この作品を通して、何かを発信することはできると思っています。ぜひ劇場で、受け取っていただければと思います。
先ほど戦後80年の節目と申しましたが、今公演は私たち54期にとっても、「卒団」という節目にもなります。冒頭でも少し申しましたが、私の中で月光斜という存在が、自分で思っていた以上に大きな存在となっていたようです。何事にも「最後」が付く様になってまいりました。この公演日誌を書いている今日も、「最後」の稽古です。
私はこれまで、自分自身の卒団で泣くことは絶対にないと思っていました。先輩が卒団されるときは先輩との「別れ」が寂しかったですが、卒団するのが自分自身なら、その「別れ」はない。そう思っていたんです。でも、違うんですね。私は今公演で月光斜との「別れ」の時を迎えるんですね。今では、自分自身の卒団で泣くことは絶対にない、と言える自信はありません。私は、舞台上では芝居以外で泣かないと決めているのですが、もしカーテンコールの時泣いていても、許してください。
最後に、月光斜に入団してから私を引っ張ってくださった先輩方、こんな私を慕ってくれた後輩たち、月光斜で活動することを応援し、支えてくれた両親、全てのお客様、そして何より、たくさんの苦楽を共にした最高の同期達、本当にありがとうございました!!!皆さんのおかげで、最っ高の月光斜人生、そして大学人生でした!!
私がわたしでいられる場所
約9ヶ月ぶりに帰ってきました。54期生 情報宣伝部の夏川きうです。この日誌が上がる頃には本番まで残り2日らしいです。本当に時が経つのは恐ろしく早いものです。脚本決めから始まり約2ヶ月弱、体感的には2週間くらいです。あっという間に始まって、あっという間に終わってしまいます。1日1日を大切にしたいと思う今日この頃です。
前回の日誌ではこれまでの振り返りをしたので、今回は最近私が思うことを書こうと思います。
ここ最近、"縁"を感じることが多々あります。例えば、公演フライヤーをポスティングしている最中に出会った住人の方と少しお話をして、そのご縁もあって、舞台を観劇しにきてくださったり、至徳館コラボの装飾をしている際に声をかけてくださった方や、いつも使ってる駐輪場の管理人さん、映像の撮影現場で出会ったスタッフさんや共演者の方が公演の予約をしてくださったりなど、今年は本当に人とのご縁を感じることがたくさんありました。
54期生も縁のつながりで今ここにいるのだと感じることがあります。私は特にみんなとは違うキャンパスに通う分、この団体に入らなかったら一生出会ってなかったかもしれません。大好きな先輩方、後輩たち、そして同期、このメンバーに会えたことに本当に感謝しています。あの時、勇気を出して月光斜に入団して本当に良かったと、心の底から思っています。
この先、みんな別々の道に進むけれど、この縁は一生忘れないし、一生大切にしていきたい宝物です。
あと1週間もしないうちに卒団してしまいますが、全力で1日1日を大切に過ごしていきたいです。
そして、本当に最後の公演、全身全霊で挑みます。1人でも多くの方に届きますように。
The last 公演日誌
お久しぶりです。コン!コーン!!!/柊堂哉です。たくさんのご縁に恵まれ最後の舞台を行うことができております。
舞台を立てていると「今」ということについて浅くではありますが考えさせられます。長い稽古の果てにある一瞬の本番。「今」この時を楽しんでもらうための長い長い一瞬をお客様に届け終わってしまえば後には何も残らず消えていきます。うーん、もったいない。
しかし僕らは大学生。時間だけは腐るほど持て余していますから「今」この瞬間もドブに捨てながらどんな形になるか全くもってわからない舞台という生き物のためにせっせこ糧を渡しつづけているのです。
とはいえいかに時間を持て余していても「今」というものが本当はかけがえのないものであるということにも気がつきます。というか最近気がつきました。現在進行形でかつての自分の「今」がえげつない負債となって僕に雪崩れ込んできていますから。
忙しい月光斜生活を思うと致し方なかったかーと思い、また自分の怠惰凄かったなーなどとも思いながらふと月光斜に入らなければもっと有意義に過ごせたのではないかという疑念が湧きました。学業就活その他諸々踏み外さないための立ち回りができたのではないか。月光斜という一本槍で過ごすには大学生という期間はあまりに貴重なものだったのではないか。そこまで考えて僕が過ごした月光斜での「今」は案外捨てたもんじゃないんだろうなという結論に至りました。たぶんくだらないことの方が多かったのですがきっと10年後、20年後も思い出して噛み締められる思い出なので。長々と退屈な己の話を書かせていただきました。お目汚し失礼いたしました。
最後になりますがぜひ僕たちの舞台にいらっしゃってください。僕たちにできる「今」を精一杯伝えます。
『パンドラの箱に希望だけ詰め込まれていたらなぁ』
ページを開いてくださりありがとうございます🐥
54期卒団生の遥太です。
入団してから5回目の公演日誌。
いよいよ最後となりましたね。
僕たち54期生は22年度夏公演から活動をスタートさせました。
初めは立命館学生限定での客入れ公演の実施という形をとっており、二回目の公演より徐々に学外のお客様を招いての実施をさせていただけるようになりました。
劇団月光斜の今があるのは、コロナ禍にあっても、当劇団のアイデンティティである『生きてるエンターテイメント』の火を絶やすことなく引き継いできてくださった先輩方のおかげであり、その火を僕たちなりの形で未来ある後輩たちに繋げられたことを誇りに思います。
改めてたくさんの先輩方に対し、厚い御礼の気持ちと何よりも深い敬意をここに表したいです。
本当にありがとうございました。
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さて、前回の投稿では少し不安であった当時の心中を書かせていただきました。
あれから今公演までの間、僕は劇団月光斜という団体から離れ、通常の大学生活をしながら将来に向けての準備期間を過ごしていました。
そんな中で一観客として観劇した二公演はどちらも素晴らしく、そして月光斜に新しい風が吹いたことを感じさせるものでした。
みんなとてもきらきらとしていて、「自分が最後帰ってきたとして何ができるのだろう」と考えてしまうほどでしたが、今こうして新入団員も含めた座組で刺激を受けあいながら作品を創り上げていく日々を過ごしていて、今までとはまた違った雰囲気での公演に楽しさを感じています!
今回、僕は自身の人生最後の舞台だと思い挑んでいます。
もちろん人生何があるか分かりませんから、また立つこともあるかもしれないですね。
けれど一度ケジメとして、演劇とは少し距離を置こうと思っています。
表現の世界に魅了されてから、
歌にお芝居、振付、照明と様々なものに触れてきました。
生き続ける限りは表現に関わる何かしらと接していたいですね✨
とにもかくにも、僕の舞台での最後の立ち姿。
ぜひ観にきてくださると嬉しいです!
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恒例にしていたので最後に曲紹介を💁♂️
♪アオノオト/ M!LK
遅くない今ある"青春"を謳歌できたこの団体に、最大限明るくお別れできますように。
酸いも甘いも味わった3年半だったから難しいかもしれないけれど。
それでも皆様には笑顔でさよならしなくては。
舞台から降りるその瞬間まで。
それでは。
またいつか。
遥太
さよならぼくたちのげっこうしゃ
おはようございます。ハロー。ボンソワール。
衣装班54期衣装小道具班の田総朔月です。カムサハムニダ。
卒業公演の準備もいよいよ大詰め、もうすぐ小屋入りという時期です。
だいぶん肌寒く、それらしい気候になってまいりました。
早いもので、私たち54期は今公演をもちまして卒団するようです。驚き桃の木山椒の木。これには為五郎もアッと驚くどころの騒ぎではない。大変由々しき事態です。
大学生活の大半を費やして、人に恵まれ機会に恵まれ、沢山の成功と挫折を経験したこの3年半。
気付けば全ての公演に参加し、役者を9回もさせていただき、月光斜でできたご縁により幾度か外部で演劇をすることもできました。本当に、有難いことです。
私たちが入団したとき月光斜にはでっけー背中の51期の先輩方がいらっしゃったはずなのに、気付けば今や57期の後輩たちが随所で辣腕をぶんぶんと振るいまくっています。まさに月光矢の如し。
新陳代謝によって良くも悪くもめまぐるしく変化していくのが学生劇団の魅力ではありますが、いざ卒団する身になってみると、一丁前に「なにか遺せるものを」などと考えてしまいます。
返報性の原理というものでしょうか。これだけのものをもらったのだから私も何か月光斜に還元したい、とここ1年ほどずっと考えているのですが、私にできることなどたかが知れているもので、全て返しきってなんならさらに多くのものを与えて立つ鳥跡を濁さずリノベーション、なんてことはできず、むしろ最後まで迷惑をかけ後輩にまで助けてもらう始末。でっけえ背中を見せて後輩たちに別れを惜しまれながら卒団という夢は画餅に帰すことになりそうです。
そんなお節介いらねえよ!と言わんばかりに立派に成長した後輩たちの姿はとても誇らしく、嬉しさとともに少しの寂しさも感じます。
これからはただの観客として、後輩たちが紡ぐ月光斜の舞台を観られることが楽しみで仕方がありません。
恥の多い月光斜人生を送って来た私ですが、歳月不待、これが最後の公演です。
出涸らしになりながら、無様にも役者としてまだ舞台に獅噛みついています。
多くのものを教え与え導いてくれた先輩、支えてくれた同期、こんな私を慕ってくれる後輩、舞台を観に来てくださった全てのお客様に感謝の気持ちを伝えられるよう、最後の最後まで精一杯高めてまいります。
ぜひ、54期の卒業公演『パンドラの鐘』を観に来てください。
長々と失礼いたしました。
それでは、再見。




