公演日誌
さよならぼくたちのげっこうしゃ
おはようございます。ハロー。ボンソワール。
衣装班54期衣装小道具班の田総朔月です。カムサハムニダ。
卒業公演の準備もいよいよ大詰め、もうすぐ小屋入りという時期です。
だいぶん肌寒く、それらしい気候になってまいりました。
早いもので、私たち54期は今公演をもちまして卒団するようです。驚き桃の木山椒の木。これには為五郎もアッと驚くどころの騒ぎではない。大変由々しき事態です。
大学生活の大半を費やして、人に恵まれ機会に恵まれ、沢山の成功と挫折を経験したこの3年半。
気付けば全ての公演に参加し、役者を9回もさせていただき、月光斜でできたご縁により幾度か外部で演劇をすることもできました。本当に、有難いことです。
私たちが入団したとき月光斜にはでっけー背中の51期の先輩方がいらっしゃったはずなのに、気付けば今や57期の後輩たちが随所で辣腕をぶんぶんと振るいまくっています。まさに月光矢の如し。
新陳代謝によって良くも悪くもめまぐるしく変化していくのが学生劇団の魅力ではありますが、いざ卒団する身になってみると、一丁前に「なにか遺せるものを」などと考えてしまいます。
返報性の原理というものでしょうか。これだけのものをもらったのだから私も何か月光斜に還元したい、とここ1年ほどずっと考えているのですが、私にできることなどたかが知れているもので、全て返しきってなんならさらに多くのものを与えて立つ鳥跡を濁さずリノベーション、なんてことはできず、むしろ最後まで迷惑をかけ後輩にまで助けてもらう始末。でっけえ背中を見せて後輩たちに別れを惜しまれながら卒団という夢は画餅に帰すことになりそうです。
そんなお節介いらねえよ!と言わんばかりに立派に成長した後輩たちの姿はとても誇らしく、嬉しさとともに少しの寂しさも感じます。
これからはただの観客として、後輩たちが紡ぐ月光斜の舞台を観られることが楽しみで仕方がありません。
恥の多い月光斜人生を送って来た私ですが、歳月不待、これが最後の公演です。
出涸らしになりながら、無様にも役者としてまだ舞台に獅噛みついています。
多くのものを教え与え導いてくれた先輩、支えてくれた同期、こんな私を慕ってくれる後輩、舞台を観に来てくださった全てのお客様に感謝の気持ちを伝えられるよう、最後の最後まで精一杯高めてまいります。
ぜひ、54期の卒業公演『パンドラの鐘』を観に来てください。
長々と失礼いたしました。
それでは、再見。
疾風舞★Ⅳ
おはようございます。
久しぶりですね、宣伝美術部の疾風舞★Ⅳです。
この日誌を読んでいただきありがとうございます。
卒業公演の日誌ということで、少しお付き合いください。
何も知らない演劇の世界に足を踏み入れ、がむしゃらに公演を走り続けていると気づけば自分の卒団が目前に迫っていました。そしてこの日誌を書いている今も、静かにその時は迫ってきています。
でも自覚はありました。残りの参加できる公演を数えては「これができるのは最後かもしれない」と自分に言い聞かせてきましたし、その瞬間を噛み締めてきたつもりです。
それでも、もっとこの団体にいたいという気持ちは、言ってもいいでしょう?
『人間探偵カイ』の時の日誌にも書きましたが、私は「終わり」という言葉が嫌いです。楽しいことも、美しいことも、なにもかも「終わり」があります。どうあがいても覆すことはできない決定事項です。私は今その淵に立ち、もう後戻りできないところにいるわけですから、言わせてください。
私は月光斜が大好きだ。
だからこそ、できることならもっと、仲間と共に、ここにいたかった。
ふむ、すっきりしましたね。私は想いを言葉にするのが苦手なので、こういう文面のほうが素直になれます。でね、「もう後戻りできない」わけなので、過去や決定事項を受け入れ、今できることを頑張るしかないと思うんです。月光斜はコンティニューができないので、ゲームオーバーではなくハッピーエンドを迎えられるように残された時間を楽しむしかないんですよ。うん。
今、私は滅茶苦茶楽しんでいます。出来る限りの全力で、でもたまにサボって。最後ですから、最高の舞台をと思っています。もちろん過去公演も精一杯やってきました。先輩の背中や後輩の姿を見て、自分に活かせそうなことは盗み、初心者なりに自分の表現を考えてきました。今の私があるのは、支えてくれた月光斜の仲間と、家族と、お客様のおかげです。本当に、本当に、ありがとうございました。
そして、演劇を観ることはあっても、舞台に立つことはもうないと思います。
「疾風舞★Ⅳ」、この名前も先輩から受け継いだものです。
結構愛着が湧いていますし、誇りに思っています。
でも、それを名乗るのも今公演で最後。
疾風舞★Ⅳは、ここで消えてなくなります。
「終わり」がくれば次の「始まり」がある。
次の始まりまであと少し。
疾風舞★Ⅳの「終わり」を見届けてください。
「音と印象」
こんにちは。しきです。自分について話すことはあまりないので、音について思ったことを書きたいと思います。
引退してから様々な作品を見る中で音響効果のできること、やるべきこと、月光斜の音響について考えることが多くなりました。
以前とっていた音楽の授業で、「悲しい音楽の何が悲しいのか」という話を聞いたことがあります。それによると、悲しいと感じられるような音の特徴や並び方があり、それによって私たちは悲しさを知覚するという説があるそうです。しかし、多くの人にとって楽しい特徴を持つ音楽でもたまたま悲しみを感じていた時に聞いた音楽ならその人にとっては悲しい音楽になり、悲しいと感じる特徴を持たなくても悲しいとされる行事に使われる音楽はその文化圏内では悲しみを想起させることもあります。不思議ですよね。
音響効果は、そうした音の特徴を活かして補助をする仕事だと思います。
音楽や効果音を流すことで場面の雰囲気や登場人物の感情を補える一方、あえて音を流さないことで役者の演技から観客自身が想像して感じる余白が生まれる場合もあります。
月光斜はエンタメ性の高い作品を上演する機会が多いこともあってBGMや効果音を比較的たくさん使う傾向にあります。私はそれが好きなのですが、だからこそ月光斜で音響を考えていく上で、どのように音を流していくことが作品に合っているのか悩むこともあります。今回の公演でも、音響効果班のメンバーたちと一緒に音を通して場面の雰囲気を補い、作品の世界を自然に感じてもらえるよう考えてきました。
私は今回音響オペレーターをさせていただいています。公演で流す音や機材を一緒に準備してきた音響効果班はもちろんですが、公演を作るみんなの伝えたいものが伝わるよう、最後まで仕事を頑張っていきます。OPダンスの時だけは多分にこにこしてしまう気がしますが許してください。
X投稿の画像は上賀茂神社の夏限定風鈴です。風が吹くたびに静寂から一気に風鈴の音が響き渡って、他の場所で聴くより清らかで神聖な感じがしました。
さようなら
一島頃莉
皆さま、お久しぶりです、頃莉です。今公演では一島頃莉という芸名にしております。
久々、といっても前回公演『袖に余る想い』の脚本を書いたので僕的にはそこまで久々というような感覚ではありません。しかし頭はすっかり月光斜から離れてしまっているようで、会議のタイミングや衣装作成の感覚、夜中まで学校にいる違和感など、「あ、忘れてる」と思うことがとても多くありました。あれほど生活の一部だったのに、半年ほど離れただけですっぽりと抜け落ちてしまうとは。まあ、僕の頭はその程度ということなのでしょう。
さて、今公演を持ちまして僕は卒業ということになるのですが、実際そのような実感があるのかと言われるとそうではありません。というのも大学院に進学するので、卒業です!と言われても、「まあ、まだいるんですけれども……」と思ってしまいうまく感情が出てきません。少なくとも5年以上はまだ大学にいるため、今後の月光斜を見守る長老枠にいようと考えています。丁度いい具合に脚本を何度か書いているので、アーカイブ見て……といえば多少は覚えてもらえるかもしれません。
思い返してみると、僕はこの団体ではなにもできていないような気がしてなりません。衣装をたくさん作ったり、脚本を三本担当したりしましたが、どうも他の団員たちがよっぽどすごいことをしていると思えてなりません。ただ、周りの人たちは僕に向かって、「ようやっとる(意訳)」と言ってくれます。価値は他人が決めてくれるものなので、他の人がすごいと言ってくれる限り、僕はどこかで「すごい人」でいられるのかな、と思っております。
この大学生活、本当に好きな事だけをさせていただきました。好きに脚本を書き、小説を書き、好きな古典文学を読んで、好きなように研究をする。僕は今後も大学院で好きな研究をして生きていくのですが、何の柵もなく楽しめたのは、この月光斜が最後だろう思っています。この記憶を胸に、明日からも精一杯生きていきます。またどこかで、会えたら会いましょう。



