公演日誌
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こんにちはTomです。
もう冬公演の時期になりました。
有難いことに参加11公演のうち10公演を役者として出演させていただきまして、2023年夏から今までなんか地味にずっと舞台上居る奴としてやってきたわけでございますが、遂に引退です。
諸先輩方の引退・卒団挨拶時に一歩後ろに下がる度にお客様数名を驚かせ、もはや他団体の方からもう引退や卒団の概念が消えた大学オーバーフロー戦士と勘違いされてきた私ですが、今度こそ引退です。
長いようで短い…いや長かったな。長かった。確かに1回生の頃の公演のことは昨日のことのように思い出せます。しかし思い起こす思い出の数が、たかが3年間の出来事だとは思えないほどに多いです。故に、本当に長い3年間でした。ありがとうございました。
さて、筆も乗ってきたので少し自分語りをさせて下さい。普段あまりこういった話をしないものですから長い上臭くなるとは思いますがご容赦下さい。嫌でしたら飛ばして下さい。
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私は元来、せっかちな人間でありました。プライベートなことに関してはそうでも無いのですが、スポーツだとか、勉強だとか、努力結果の出るものに対してせっかちな性分でした。勉強だとか、筋トレだとか、長い目で見るものが嫌いでした。
生まれつき体格が良く、力も強かったものですから、中学あたりまではなぁなぁである程度有利を取れるスポーツをやっていました。しかし、高校に入るとそうもいかなくなります。小、中学からコツコツと続けてきた人達には、付け焼き刃技術の体格だけの木偶の坊など追い付けなくなりました。せっかちな私は、自分には合わんのだと思い込ませて、スポーツを辞めます。
そこで友人に誘われて入ったのが演劇部でした。無論、発声練習は嫌いでした。ただ友達と巫山戯るためだけに行っていました。舞台に立ち始めたのも、裏方より楽しかったからです。
何年かが経って、ただの遊び半分素人よりマシな人間になった頃、始めたて頃の映像を見直しました。殆ど何も聞こえませんでした。誰よりも、その場の誰よりも声が小さくて、聞き取りづらい自己満足の塊のような演技だったことを覚えています。
また何年か経って、いつの間にか私は楽しいから舞台に立つのでは無く、舞台に立つことしか出来ない男になっていました。役者というポジションにしがみつき続けていました。
また数年過ぎて現在になります。役者というポジションにしがみつき続けていたら、前回公演よりはまだ成長している部分があると分かるようになっていました。まだ不足ではあるものの、声が聞こえないと言われることが無くなりました。いつの間にか発声練習を面倒だと思わなくなりました。裏方についても高校時代よりはまだ分かるようになりました。何年もかけて、本当に微々たるものですが、私は成長したのだと思います。
それでも、大学演劇を観ていると、大学から始めた人達が多く、そしてそのほぼ全員が、大学のうちに今の私の居る場所を超えていきます。
恐らく私には、才能が無いのだと思います。純粋な演技のそれも、努力の才能とやらも無いのだと思います。
すぐに台本読み解いて、感情を入れるなんてことは出来ません。演劇のために四六時中考え続けてインプットもシュミレーションもして、なんてことも出来ません。めっちゃサボります。サボってゲームします。娯楽大好き。
だから私は他の人より遥かに成長が遅いです。月光斜の皆は、どんどん私を置いて進んでいくでしょう。これを自覚した時、本当に辞めようかと迷いました。
だけどもう何も辞めたくなかったので、長い目で見るということをしてみるようにしました。
演劇という、芸歴何十年だのがゴロゴロいる業界で、二十代前半なんて若いにも程があるというわけです。
誰よりも遅くしか成長出来ないから、誰よりも長く成長してやろうと思いました。20代の天才とやり合える80代になってやろうと思います。
頭で考えたばかりなので心身がまだ適応してなくてまだ落ち込むんですけどね。こっから頑張ろうと思います。
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上の内容をギュッとすると、「雨垂れ石を穿つ」とか「石の上にも三年」とか、小学生でも知ってるような一言に纏まるそうです。先人は偉大ですね。馬鹿は要約できないから話が長いと言いますが、馬鹿は要約から読み解くこともできないのでね。もし、私のような馬鹿者がこの先居たなら、これが何かの糧になるように書き連ねました。
そんな、幼少期に気付くべきようなことを20代でようやっと学んだ若造の未だ青臭い引退公演です。良ければご来場下さい。
Tomでした
追伸
なんか、めっちゃ終わりみたいな空気出してますが多分卒戻ってきます。
